コバヤシリキが人生のコンセプトを『仲間と働く時代を創る』にした理由

ごめんなさいね。こんな僕の笑い顔どアップで笑

これは知る人ぞ知る僕のシモベことちゃんあつ君に、電気アンマを食らわした直後の顔です。うん。ご満悦。

さてさて。
どうも!
京都生まれ京都育ち、名古屋在住のコバヤシリキです!

いやぁなんと今回の記事で総ブログ数300記事です。ぱちぱちですわ。コツコツ続けられる性格に育ててくれた親とGoogleに感謝っすわ。

足掛け2年ちょいかかりましたが、なんとかブログについて語れるくらいの記事数になりました。これもひとえに読者に皆さんのお陰です。いつもありがとうございます。

今回の記事では、「あれ?そういやなんで俺ブログ書き始めたんやっけ?」というの僕の人生のルーツまで遡って書き進めたいと思います。

・コバヤシリキに興味があるよ〜
・これからコバヤシリキに興味を持とうか悩んでいるよ〜

こんな方は是非とも最後まで読んでください!

コバヤシリキの人生のコンセプト『仲間と働く時代を創る』

まず僕には夢があるんです。
キング牧師並みの大きな夢が。
『仲間と働く時代を創る』っていう大きすぎるかつ、いまいちピンとこない夢が。

学生時代からこの大きな夢を追いかけていた僕は、就活という道を選びませんでした。

いやむしろ、学生時代は個性を出して頑張っていた同級生が、就活になった途端「安定、安定」と言いながら個性を消して、全員同じスーツで就活に向かい、同じような志望動機を練習している様子をかなり冷めた目で見ていました。

・大学卒業後の進路の王道がこんなにも味気ないもので良いものか?

お節介かもしれませんが、僕はずっとそんな風に思っていました。

僕は卒業後、心の底から仕事と自分を愛せる仕事をしたいと血尿が出るほど思いました。
※実際には出ていませんが

自分と自分の仕事を嫌うクズにはなりたくないと血便がでるほど思いました。
※もちろんこれも出ていない

じゃあそんな仕事を作らなければ。

選択肢は誰かから提示されるものではなく、自分で生み出すことができるはずだ。

そしてその生み出した選択肢が優れていれば、誰かの選択肢になりうるはずだ。こんな風に思いました。

そこで登場した僕の選択肢がシンプルですが、『仲間と働く』だったわけです。

『仲間と働く時代を創る』になった出来事

今では「仲間と働く時代創りてぇ〜」が口癖の僕ですが、そのルーツとなる出来事は16歳まで遡ります。

高校2年。16歳の僕。
引越しを理由にボクシングを辞め、帰宅部というノーブランドを恐れ、バイト探しに奔走していた時代の僕。

そんな僕に祖父から誘いが
「カンボジアのアンコールワットを見たいから、荷物持ちで付いてきてくれ。」

当時74歳の祖父。
経営していた会社を辞めて、暇すぎてボケるのを恐れ、ボケないために様々な趣味に手を出していた時代の祖父。

そんな暇な2つの時代が偶然重なりました。
※大げさ。

16歳のリキ
アンコールワット?カンボジア?世界遺産?

っていう海外なんてまるで興味ないお寿司大好き人間だった僕ですが、カンボジアに行くことを決めました。

16歳のカンボジアにて


しかし当時の僕の価値観の未成熟っぷりと言ったら引くレベルです。
そもそも童貞やったし。

ずっと祖父に対してイライラしていたように記憶しています。

16歳のリキ
本当に荷物を持たない
16歳のリキ
店員さんにめちゃくちゃ態度でかい
16歳のリキ
赤ちゃんレベルに英語ができない
16歳のリキ
小便が長い

今から思えば、プール付きの高級ホテルに連泊し、ガイドとドライバー付きでカンボジアまで連れてってもらってそれくらい我慢しろよ。ってことばっかですが、当時の僕はなにぶん青かったんです。そもそも童貞やったし。

まあそんなこんなでカンボジアの旅も中盤に差し掛かった頃、祖父から一言

疲れたから、今日はデット(ガイド)と二人で行動してくれへん?

僕は祖父を心配する演技をかまし、心の中で大喜びでした。やっと祖父の呪縛から解放される。

「よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ!×1万 さらば!リアルお荷物!w」

本当に最低のクソ孫です。

まあそんなこんなで僕はガイドのデットとサシ旅をすることになりました。

デットが連れてってくれたのは、まさかのスラム街。16歳の僕は息をのみました。

スラム街にて


16歳の僕が見たスラム街は、NHKのドキュメントや報道カメラマンが捉えた写真通りの出で立ちでした。

僕とデットは無言でスラム街を歩きました。誰とも会話をせず、ただ人と景色と雰囲気を吟味しながら歩きました。

スラム街を後にして、デットは僕にこう聞きました。

「このスラム街を見て、リキはどう思った?」

僕はペラい脳みそを必死にフル稼働させ

16歳のリキ
スラム街の存在はテレビとかで知ってたけど、生で見たのは初めて。スラム街を見た経験を活かして、日本に帰ってからも頑張ろうと思う。

するとデットは「なにを頑張るの?」と聞いてきました。
その時のデットの目は、若い僕を論破しようとする目線ではなく、純粋な疑問を投げかけている様子でした。その目を見た僕は正直に

16歳のリキ
好き嫌いとか食べ残しとかしないよう頑張ろうと思う。

と自分の想像を絶するほどスペックの低い回答をしました。

デットは「全然違う。」と言いこう続けました。

「日本人は頑張ったから幸せなんでしょ?
日本人は頑張ったから裕福なんでしょ?
スラム街の人たちは頑張ってないから貧しい。
頑張ったら幸せになれることを日本人が教えて欲しい。
頑張って裕福になった日本人は好き嫌いなんかする必要なんてない。」

そう聞いた時、僕の脳裏に疑問が浮かびました。

「この人たちに胸を張れるほど、日本人は幸せだろうか?」

自殺率も高く、仕事に愚痴をいう大人が多く、電車に乗っても辛そうな表情の人ばかり。当時、大人と子どものちょうど境目にいた僕は、そんな感じで社会を見ていました。

僕はこの人たちが憧れている日本人として、幸せだと胸を張っている人になりたいと思いました。そして何より、まず自分自身が幸せにならなければ!と強く思うようになりました。

それと同時に「僕にとっての幸せって何だ??」という暇人が一度は考える問いが生まれるきっかけになりました。

24歳(今)のコバヤシリキにとっての幸せ

そこから色んな形で幸せ探しをしたんです。

旅してみたり、人に会ったり、おいしいもの食べたり、本を読んだり、個人事業をおこしてみたり、ブランド作ったり、イベント開いたり、好きなこと100個書き出してみたり。

すると簡単に見つかりました。
というか正確には、思い出しました。

僕は今までの人生ずっと片時もぶれることなく真っ直ぐに仲間と笑っている瞬間が一番幸せだったということに。

仲間と仕事をするための団体をつくった2015年。仲間と仕事をするためにブランドを作った2016年。仲間と住むためシェアハウスに移った2017年。個人としての力も必要だと痛感し、バイヤー業で年商1300万円稼いだ2018年。おぼろげながら商売の基本、ビジネスの根幹、仲間で仕事をするとはなんなのか?仲間と笑って飯を食う状況とはどのようなものなのか?全体像が見えてきた2019年。

いよいよ、ど真剣に力をつけた個人同士の掛け算を起こして行こうと思っています。

『仲間と働く時代を創る』とは、僕自身が仲間と働く姿を世の中に見せ、その姿が誰かのより良い選択肢の1つになることです。

どうせ生きて死ぬのなら、遠い未来とは言わずともちょっと下の後輩くらいに良い影響を与えれてたらな。16歳の時に出会ったデットに「俺、めっちゃ今、幸せやで!」と伝えたい。という僕の謙虚で壮大な夢を最後まで読んでいただきありがとうございました。

記念すべき300記事目。以上です。

現在コバヤシリキは年商1300万円あったバイヤー業をやめ、絶賛無収入中である。そんな折、出会って半年の彼女に求婚しOKをもらう。月収10000円しかないブログを本気でマネタイズしようと考えているお馬鹿である。またGreatLuckFESという野外フェスをアップデートするため、2019年、2020年は結構な頻度で海外にいる。明後日からイスラエル・パレスチナに行き、動画の撮影編集を行う。もちろん仲間とである。

これから仲間もどんどん増えるし、やりたいことも無限に登場することであろう。なぜならコバヤシリキは仲間と笑っているだけで幸せという人間なのだから。

ついでにこっちも読んでみてーな

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